和歌山地方裁判所 昭和48年(ワ)85号 判決 1978年3月27日
原告 中前勝
右訴訟代理人弁護士 佐々木哲藏
同 佐々木静子
同 牛田利治
右訴訟復代理人弁護士 松本剛
同 石丸悌司
同 大沢龍司
同 後藤貞人
被告 国
右代表者法務大臣 瀬戸山三男
右指定代理人 岡崎真喜次
<ほか二名>
主文
一 被告は、原告に対し、金二〇〇万円およびこれに対する昭和四八年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円およびこれに対する昭和四八年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行宣言が付されたときは担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四一年三月二六日、加重収賄罪で逮捕、勾留され、同年四月一七日、処分保留のまま釈放されたが、同年一〇月一八日、和歌山地方検察庁検察官から、左記公訴事実(以下、本件という。)により加重収賄の罪名で起訴された。
記
「被告人中前は、昭和四一年一月二〇日御坊市西町所在の福寿旅館において、近畿興業株式会社東京営業所営業部長西村義朗および進弘企業株式会社大阪支店長兼営業課長当麻恵司から、美浜町第三次上水道施設拡張工事に関し、進弘企業株式会社を指名競争入札業者として指定するとともに、あらかじめ入札最低制限価額ないしこれに近い金額を教示する等、同会社との契約締結につき便宜な取計いをされたい旨の請託を受け、その謝礼として供与されるものであることを知りながら、現金二〇万円の供与を受け、もって前記職務に関して賄賂を収受し、よって右会社を指名競争入札業者に指名して入札に参加させるとともに、その入札前である同年二月九日、右同町和田一二六五番地の自宅において西村から電話で右入札における入札最低制限価額ないしこれに近い金額を教示されたい旨依頼されるや、七二九万円で入札すれば確実に落札できる旨教示し、同会社をして同月一〇日の入札当日右同額で入札させたうえ、同日その入札最低制限価額を七二五万円と決定して開札し、これにもっとも近い金額で入札した同会社に落札させ、もって公正な入札によらないで同会社と請負契約を締結し、不正の行為をしたものである。」
2 和歌山地方裁判所は、昭和四六年三月二五日、原告に対し本件について無罪判決を言い渡し、同判決は検察官の控訴がなく確定した。
3 本件公訴提起の違法性
(一) 検察官は、公訴提起するにつき、それまで収集した全証拠を総合して犯罪の嫌疑が十分であって、公判審理のうえ有罪判決をえられる見込があるとの合理的心証に達したならば、起訴を猶予すべき特段の事情がないかぎり、公訴を提起すべき職責を負う。しかし犯罪の嫌疑が十分でなく有罪判決をえられる見込がないと考えられる場合には公訴を提起してはならない。いいかえれば検察官としては通常要求される職務上の義務に違反した結果事実認定または法律解釈を誤り、客観的に犯罪の嫌疑がなく有罪判決を期待できる合理的根拠なしに起訴した場合は、その起訴は検察官の裁量または自由な心証形成の限度を逸脱した違法な起訴であって、検察官には過失があるというべきである。
(二) ところで、本件起訴は検察官の過失にもとづく違法な公権力の行使によるものである。
(1) 原告は現職の町長という社会的重責をになうものであるから、一種の破れん恥罪である収賄罪で起訴すれば、改選を間近に控えた公人としての原告の政治的生命はおろか、社会的存在さえ奪いかねない重大な影響を与えることは十分考えられたはずである。しかもわが国では起訴された者の有罪率がほぼ一〇〇パーセントに近い実情で、起訴自体によって被告人は有形無形の不利益を受けることをも考慮すると、検察官が本件を公訴提起するについては十分慎重な態度が要求される。
(2) 物証および原告、関係者の供述
しかるに本件起訴においては、原告が収受したとされる現金二〇万円は当時としてはかなりの大金であったにもかかわらず、右現金の存在を窺わせるに足る物証、例えば原告の日記帳、メモ、預金通帳、右現金入りの封筒など(これらは当然捜査の対象となったはずである。)は一切存在せず、また右現金の使途についても一切不明のままである。このこと自体賄賂収受の事実の存在を疑わせるに十分である。
また本件のような贈収賄事案においては原告や共犯者らの供述がきわめて重要であり、物証のない点を考えると、公訴を提起するに際しては右関係者の供述が相互に一致しその供述が合理的かつ首尾一貫していることが必要であって、その信用性も極度に高いものであることが要求されるはずである。本件では起訴にかかる公訴事実とくに賄賂収受の事実の直接証拠としては原告、当麻恵司(以下、当麻という。)および西村義朗(以下、西村という。)の各供述に限られ、それ以外に証拠は存在しない。
① ところでまず、原告は逮捕、勾留の当初から公判の全審理に至るまで終始一貫して公訴事実の中核となる賄賂収受の事実を否認していた。
② 次に当麻の供述についてみると、同人の供述するところは、原告が来る前福寿旅館の裏二階で西村に現金二〇万円入り封筒を渡した事実と、西村と原告が合計二〇分位も二人で下に降りていた事実にすぎず、右二つの事実をもってしても賄賂の収受を推認することは困難である。さらに、もともと同人は直接賄賂授受の現場に立ち会っておらず、西村や原告からその旨聞いたこともないと供述しているのであって、その他に当麻が西村に現金を手渡した時期や右現金が封筒入りであったか否かあるいは福寿旅館での西村らの言動などについて、当麻と原告、西村の供述は著しく相違していることをも考え合わせると、当麻の供述はとうてい信用性の高いものとは言えない。
③ さらに直接の贈賄者とされる西村の供述もまた以下のとおり措信できないものである。
(イ) 西村は当日持病の腎臓結石のため二回医師の治療を受け、福寿旅館でもほとんど寝たりなどの状態であったため当時の出来事に関する西村の供述の信用性はもともと高いものではありえなかった。
(ロ) 西村は賄賂授受の点について、当初当麻が原告に渡した旨述べていたが、その後自から渡したと言い直し、次には自分か当麻か不明であると述べるに至り、そして最終的には自分が渡したと供述しているが、このように事柄の性質上単純で記憶の鮮明であるべき賄賂授受の点についてさえ三度にわたって供述を変えている。右供述の変遷の理由について西村の説明する理由は全く納得しがたいものであり、真実西村が渡したのであれば、このようなことはとうてい考えられない。
(ハ) また西村が原告に渡したという封筒の形状についても西村の供述自体に矛盾、変遷があるうえ、当麻の供述ともくい違っている。西村の供述は、この他に、当麻から現金を受け取った時期やその際の状況あるいは福寿旅館での西村らの言動などの点で、当麻の供述と著しくくい違っているのみならず原告の供述とも賄賂授受はもちろんのこと、最低制限価格いわゆる敷札の教示の有無やその際の状況など数多くの点で矛盾、相違しているのであって、そのとうてい措信できないことは明らかである。
(ニ) なお、検察官は同時捜査中であった谷本南部川村村長事件関係における西村の供述と比較しても、本件における西村の供述の、信用性に乏しいことが容易に察知しえたはずである。
(3) 検察官は、以上の物証の有無や原告の弁解の内容あるいは関係者の供述など関係各証拠を、職務上要求される注意をもってしさいに検討すれば、ことに西村の供述自体一貫性を欠いて多くの矛盾を含み、原告や当麻らの供述とも著しく矛盾、相違していることはきわめて明白であるから、本件起訴が十分な嫌疑なく有罪判決を期待できる合理的根拠のないことを十分認識しえたはずである。
4 原告の当事者適格
本訴は、原告に対する破産宣告後に、提起されたものであるが、左のとおり、本件請求権は破産財団に属しないため、原告の当事者適格は認められるべきである。
(一) 本件請求権は、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料請求権である。
ところで、慰藉料請求権は、それが金銭賠償に帰結する点において、一般の金銭債権と同視されうる余地があることは否定できない。
しかしながら、慰藉料請求権は、精神的損害の回復手段として発生するのであるが、それは形を変えた人格の一部であって、常に被害者の個人的事情に関係しており、精神的苦痛という内心の事情、被害者と加害者の相互関係等によって影響されている。これは単に被害法益が個人的というにとどまらず、その行使においても、高度に個人的なものであることを示しており、譲渡性等の認められる請求権ではないことを如実に意味している。まして、被害者の意思と別個に慰藉料請求権につき差押をなす等の処分をすることは、精神的損害の回復という本質と相いれないこと明らかである。
したがって、慰藉料請求権は、行使上の一身専属性を有しており、破産財団に属しない。
(二) 仮にそうでないとしても、慰藉料請求権が具体的に発生するのは被害者がそれを行使したときである。
そうでなく右行使の前にすでに現実に発生しているとすると、破産管財人はその職務上常に被害者である破産者の内心の問題に立ち入り、その意思とは無関係に慰藉料請求権の存否を調査し、場合によってはこれを行使しなければならないという非常識な結果を招くことになる。
したがって現実に行使して始めて金銭債権に転化するものというべきであるから、破産宣告後現実にこれを行使した本件においては破産財団に属しないこと明らかである。
5 損害
原告は、昭和二二年四月、和歌山県日高郡旧和田村村長に、昭和二六年四月には和歌山県議会議員にそれぞれ当選就任して以来地方政治に没頭し、昭和三七年一一月一三日には和歌山県日高郡美浜町町長に当選奉職していたものであるが、汚職事件のぬれ衣で現職町長として逮捕されたうえ、その任期満了に伴う町長改選告示日直前に、本件につき起訴された。原告はこのため、再選確実であったにもかかわらず右立候補を断念せざるをえず、四年後の同町長選改選に際し立候補したものの、「黒い霧」の噂により落選の憂き目をみた。さらに、原告は、昭和二九年九月より製箸業を営み、敷地五〇〇坪、工場建物三五〇坪、工員二〇数名の規模の事業に発展していたが、本件起訴により、社会的信用も失墜して、遂には破産の宣告を受け、その所有財産の全てを競売されるまでに至った。
これらの事情に照らすと、本件起訴によって原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては金二〇〇〇万円が相当である。
6 結論
以上であるから、原告は、国家賠償法一条一項により、被告に対し、金二〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四八年四月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2項は認める。
2 同3項のうち、(二)(2)①は認めるが、その余の事実は争う。
3 同4項は争う。
4 同5項のうち、原告の経歴および本件の起訴は認めるが、その余の事実は争う。
三 被告の主張
1 検察官は、公訴提起するにつき、それまで収集した証拠の評価を誤まるなどして経験則上とうてい首肯しえない程度に著しく非合理な心証形成をし、犯罪の嫌疑がないにもかかわらず公訴を提起したときには、過失ないし、違法があるというべきであるが、そうでない以上、その後の公判、審理において新たな証拠が提出されたり裁判所が証拠の評価につき検察官と異なる見解をとったことなどの理由により無罪判決が言渡されたとしても、検察官の公訴提起が当然に違法となるわけではない。
2 事件の経過
(1) 和歌山県警察本部刑事部捜査第二課は、同県日高郡南部川村施行の簡易水道建設工事に関する贈収賄事犯(以下、南部川村事件という。)および同郡美浜町施行の第三次上水道施設拡張工事に関する贈収賄事犯(これが本件である。)の情報を得ていたところ、右贈賄主犯者である当麻恵司が、昭和四一年二月四日、同種事犯の贈賄罪により福井県三国警察署で逮捕され、右事件で捜査中、同人は、捜査官に対して右二件の事実を供述した。そこで、同県警は、和歌山県警察本部に右二件の事件捜査を引き継ぎ、同県警が右二件を立件捜査することとなった。なお、当麻は、同年二月二六日、福井県における贈収賄事犯で福井地方裁判所に起訴され、三月三一日追起訴された(以下、福井事件という。)。
(2) 和歌山県警察本部は、右当麻の自供により、同年三月一七日、西村義朗を贈賄容疑で逮捕、取調をしたところ、右和歌山での二件の贈賄事実を自供したので、同月二六日、原告を、同月二七日、南部川村村長谷本勘蔵を各逮捕した。そして当麻については福井事件の捜査終了後身柄を和歌山県警に移し捜査を続行した。
(3) 和歌山地方検察庁は、前記南部川村事件については同年四月八日、谷本、西村を、翌九日、当麻を起訴したが、本件については、原告が賄賂収受の事実を否認したので、さらに西村が四月九日保釈された後も同人の再取調をすべく同地検へ出頭を求めたが、同人がこれに応じなかったため結局同地検後藤検事が一〇月三日東京地方検察庁で西村を任意取調をしたところ、同人は、本件について以前主任検事に供述したとおり間違いない旨の供述をしたので、検察官は、本件について原告、西村および当麻を一〇月一八日起訴した。
(4) 当麻は、南部川村事件と本件について福井事件に併合され、昭和四三年一二月一一日、本件を含めて懲役一〇月、四年間執行猶予付の有罪判決があり、確定した。
本件の原告および西村関係では、原告は公判廷でも否認しつづけ、西村も自供を翻えしたため多数証人の尋問など長期にわたり審理を重ねた結果、和歌山地方裁判所は、昭和四六年三月二五日、西村の自供は変遷して措信しがたく他に証拠はないとして原告と西村の両名に対し無罪判決の言渡をした。なお、西村の南部川村事件については同日懲役六月、三年間執行猶予付の有罪判決があって確定した。
3 検察官が本件公訴提起をしたことには何ら過失はない。
(一) 西村は取調初期の段階では、原告に現金を渡していたのは当麻か自分かあいまいである旨述べていたが、昭和四一年三月二五日より後の供述では一貫して、当麻から預った封筒入りの二〇万円を自から原告に渡した旨供述しているのであって、このことからみると西村が原告に賄賂金二〇万円を手渡した事実は明らかである。さらに、当麻が右封筒入りの二〇万円を西村に渡したことは当麻自身の供述するところであり、同人は、原告と西村の間の金員授受の現場に立ち会っていないものの、二人が別の部屋で話した際右現金を渡したものと思っていたことおよび二人が戻ってきてから三人で飲食を共にしていることからも右西村の供述は十分措信できる。
(二) ところで原告は、終始一貫して金二〇万円の収受の事実を否認している。
しかしながら、原告は、当日、福寿旅館で西村と会った事実についてさえ、当初は否認しながら、後には右事実を認めるに至るなどその供述は目まぐるしく変転している。これに加えて、原告は、敷札を教示した事実についてもやっと昭和四一年四月一二日に認めていることや、部下の辻本に口止めしていることなどの点をも考え合わせると、金員収受の事実を否認する原告の供述はとうてい措信できるものではない。
(三) 以上の他に次のような事実をも総合すると、十分本件の存在を推認することができる。
(1) 西村は、原告と昭和三九年、御坊市外五ヶ町村のし尿処理場の建設の件で初めて知り合い、同年ころ、西村を通じて美浜町と進弘企業との間で土木建築工事などの契約が結ばれ、本件工事についても西村は進弘企業から原告とのコネを利用して仕事を取るよう依頼されていた。
(2) 当麻らから美浜町役場企画員辻本正美に対し賄賂提供が試みられたが、これが不成功に終ったため、西村と当麻は、進弘企業の要請で、当日、本件工事について原告に会いに行くことになった。その際、両者間では原告に対する金二〇万円の贈賄は当然了解されていた。そして、当日、西村らは、美浜町役場に赴き、原告に敷札の教示などを依頼し、福寿旅館での会合を申し入れた結果原告が同旅館に赴いた。
(3) 敷札等の教示の点については、西村や原告の供述等により、西村は、二月九日、原告から電話で本件工事の敷札の教示を受け、翌一〇日ころ、進弘企業に電話を入れて右金額を知らせ、その結果、同社は、速達便で入札し、現に同社が落札していることが認められるのである。そうしてみれば、原告の教示にもとづき右落札がされたことは明らかである。
(4) 原告と西村は、当麻逮捕後の昭和四一年三月二日、日の岬旅館で会合のうえ、原告に罪が及ぶことを回避すべく、金二〇万円は原告には渡していないと口裏を合わせる工作をし、さらにその後、弁護士を交えて会合している。
当麻は、本件について福井地方裁判所で有罪判決を受けている。
4 検察官は、右2、3項の事実から本件贈収賄が行なわれたと判断したのであるが、なお原告が金員収受の事実を否認していたので、さらに慎重を期して西村を再度任意に取調をし、本件事実の有無を確認したうえで起訴したのである。したがって、検察官が証拠の評価を誤り経験則上首肯しえない程度に著しく非合理な心証形成をし、犯罪の嫌疑がないのに公訴を提起したものでないことは明らかである。
第三証拠《省略》
理由
一 原告の当事者適格
原告が昭和四六年七月二八日午前一〇時和歌山地方裁判所御坊支部で破産宣告を受けたことは、当裁判所に顕著な事実であり、右宣告後、原告が、検察官の本件起訴による精神的損害を理由として被告国に対し損害賠償請求をしていることは、本件記録上明らかである。
ところで、右のような精神的損害を理由とした慰藉料請求権が発生する場合における被害法益は、高度に個人的個性的なもので、右請求権は、その性質上一身専属的であり、かつ、その行使は被害者の意思に委ねられていると解されるので、その性質上行使においても一身専属的である。
これと反対に右請求権が財産上の損害賠償請求権と同様単純な金銭債権であり、譲渡の対象となりうると解するときは、被害者自身の意思を離れ、それが債権者の差押ないし代位行使の対象とされ、一般財産として破産財団に属し、破産管財人がこれを行使しなければならないこととなり、その不当なことはいうまでもない。
そうであれば、本件慰藉料請求権は、被害者である原告において現実に行使して始めて具体的に発生し、金銭債権に転化するものであるというべく、本件訴訟において原告が当事者適格を有することは明らかである。
二 原告が請求原因1項のとおり起訴され、これにつき同2項のとおり無罪判決が確定したことは当事者間に争いがない。
三 原告は、右は検察官の過失による違法な公訴提起であると主張し、被告はこれを争うので判断する。
検察官は、捜査終結時の証拠に基づき、犯罪の嫌疑が十分で有罪判決をえられる見込がある場合には原則として公訴を提起する職務上の義務を負い、その限りで右公訴提起は適法であって、訴訟終結時の証拠に基づき無罪の判決がされた場合でも直ちに右起訴が違法であったとすることはできないけれども、右のような見込のない事件について、検察官が事案の性質上当然なすべき捜査を怠ったり、または存在する証拠の評価および経験則の適用を誤り、自由心証の範囲を逸脱して事実を誤認し、犯罪の嫌疑が十分ないのにかかわらず公訴を提起するに至った場合、このような起訴行為は、違法であり、これにつき検察官には過失があると解するのが相当である。
ところで、本件のような贈収賄事犯においては、賄賂の授受という行為自体はごく短時間の出来事で、世間の眼から隠れて秘密裏に敢行されるのが常であるから、犯行の直接の目撃者もなく、物証もいん滅される場合が多く、したがって立証の困難な場合が少なくない。そして、犯人が否認する場合は対向犯である共犯者の供述が唯一の有力な証拠であることが多いので、検察官としては起訴するに当たり、共犯者その他の関係者の供述相互あるいは供述全般にわたって裏付捜査をしてより慎重にその信用性を検討する必要がある。
四 そこで、以上の点を前提として本件公訴提起の違法性の有無を考える。
《証拠省略》を総合すると、ほぼ被告の主張2項記載の「事件の経過」が認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、原告は、終始本件賄賂収受を否認していることは当事者間に争いがなく、本件全証拠を検討しても、右賄賂の存在を窺わせるに足りる物証が捜査によって発見されたと認めるに足りる証拠はない。そして、本件において中核となる賄賂授受の事実の直接証拠としては贈賄者とされる当麻および西村の供述しか存在しないと考えられるのであるから、本件起訴の適否を判断するためには、右両名の供述の信用性を十分検討し、あわせて、原告の供述と対照してみることが必要である。
(1) 当麻の供述
《証拠省略》によると、当麻は、昭和四一年三月二九日付検察官調書で「一月二〇日朝八時半ごろ西村から、今日美浜町の町長に紹介してやる、一応二〇万用意してくれと言われ(町長から敷札を教えてもらう謝礼として渡す金だということはすぐわかったが)、手持ち四〇万円のうちから二〇万円を銀行のサービス封筒に入れて持って行った。美浜町役場で町長(南部川村長とあるのは明らかな誤記と認める。)に紹介され、西村とともに午後三時半か四時ころ福寿荘に着き裏二階に通された。西村は腹が痛いと言い寝転んでいた。金二〇万円入りの封筒はその部屋に着いてすぐ西村に渡した。魚の水だきを少し食べかけていると、五時過ころ原告が来た。西村は食べていなかったが、原告が坐らないうちに『町長、ちょっと』と言って二人で下に降りた。一〇分位すると西村が上ってきて『指名業者をどこにするか』と聞くので、『希望しません……』と答えたところ、西村はまた下へ降りた。それから約一〇分位して二人が上ってきた。そして原告や三五、六才位の仲居も交えて飲食したが、西村は飲まず、水だきを一寸つまむ程度で原告の相手をしていた。およそ一時間位して原告は帰った。西村とともにタクシーで東和歌山へ向う途中西村は『町長にちゃんと話してある、今度入札のとき二人で前日行こう』と言った。」旨供述していることが認められる。これによると、当麻が西村に現金二〇万円入り封筒を渡したことと西村が原告と一緒に約二〇分間階下に降りたことは明らかであるけれども、当麻は、西村と原告間の右現金授受を現認したわけではなく、また、当麻の昭和四一年三月八日付検察官調書中の供述と比べても、右現金が裸のままであったというのと封筒入りであるとの点や西村に現金を渡したときの状況などの点でかなり差異が見られる。右の点の他に西村らの言動などの点では西村や原告の供述とも著しく相違しているのに、これらについても裏付捜査によっていずれかに事実が確定されたということもなく真偽いずれか不明というほかない。したがって、当麻の供述のみで金員授受を推認することはおろか、西村への現金の交付状況や西村らの言動などについて直ちにこれを認定することにもためらいを覚えざるをえない。
(2) 西村の供述
《証拠省略》によると、西村は「一月二〇日午前九時半ころ会社で当麻に『今日、美浜町へ一緒に行こう』と言うと、当麻が『町長に二〇万円位もって行く』と言った。昼過ころ美浜町役場に着いて原告と一時間位話をし、その際原告から最低制限価格を教えるという返答をえたうえ午後三時過か三時半ころ当麻とともに福寿旅館に行き裏二階で原告を待っていると、五時過ころ原告が来たので『町長さん、二人で話をしよう』と言って、そのとき当麻かち四社の業者名を記載したメモ一枚と現金入り封筒を預り、当麻を裏二階に残して原告と二人で表二階の部屋に行きその部屋で原告に対し、『こちらの希望する業者を指名業者にしてもらえないか』と聞いたが、『それは駄目だ』と言うので、私はそのことを当麻に知らせに行った。当麻は『まあ、しょうがないだろう』と言ったので、再び表二階へ戻り、原告に対し『それなら最低入札金額を教えてもらいたい』と頼むと、原告は『教えましょう』と言ってくれた。そこで、西村は、『仕事のことで色々世話になるので議会対策のこともあるでしょうし、何かの足しにして下さい』と言って、当麻から預った現金入りの封筒をホームこたつの上に置くと、原告は、『そうか』と言って上衣の内ポケットに入れた。それから一緒に裏二階に戻り、原告と当麻は共に飲み始めたが、私は一人で表二階へ行って寝転んでいたことがあるような気がする。午後七時半か八時ころ福寿旅館を出て、東和歌山へ向うタクシーの中で、当麻に『君から預った金を町長に渡しといたよ、敷札教えてくれるそうだから君の方から連絡したらいいよ』と言うた。」旨供述していることが認められる。右供述は賄賂授受について述べる唯一の証拠と認められ、この信用性の評価如何によって本件起訴の適否が判断されうると解されるのでこの点につき検討する。
《証拠省略》によると、右供述は、昭和四一年三月三一日になってされたもので、取調の当初から一貫して述べられたものではない。そこで、右に至るまでの供述の変遷について見ると、《証拠省略》によると、当初は「午後六時か六時半ころ、福寿旅館裏二階へ行くと、原告と当麻が飲食していたので、当麻に『仕事の話は済んだのか』と尋ねると、当麻も原告も『仕事の話は済んだ』などと言うので、当麻はすでに原告に現金を贈ったと思った。」と供述していることが認められるが、《証拠省略》によると、その後前掲事実とほぼ同様趣旨の簡単な事実を述べ、さらに《証拠省略》によると、「原告に二〇万円渡したことはまちがいないが、私が渡したか、当麻が渡したかはっきり思い出せません。」と述べるに至ったことがそれぞれ認められ、その後三月三一日に前掲事実を供述しているのである。
被疑者の供述が公訴事実の基本的な事項について大略一致しており関係各証拠によって認められる客観的事実ともよく符合しているときは、供述の多少の矛盾、変遷は、経験則上その信用性にさしたる影響を与えないと解されるが、西村の前記供述を通観すると、最も基本的な事項である現金を渡した当事者が西村か当麻かの点についてすでに三回にわたり供述の変遷が見られ、現金入り封筒の大きさや形状、指名業者のメモの交付などの点でも無視しがたい矛盾、変遷が見られる。福寿旅館での出来事は調書作成の日付からごく近い過去の出来事であって、事柄の性質上単純で当初から相当程度正確に供述できるはずであるのに、右の諸点が度々変遷するというのでは、その信用性に重大な疑いがあるというほかない。さらに、前掲証拠によると、西村は、当時腎臓結石の痛み止めの注射のために記憶が混乱していたと説明していることが認められ、もしそうであるとすると、本件について原告との会話ややり取り、現金授受の状況、飲食の際の西村らの言動など西村がるる供述するところは信用できなくなり、かえって「私が渡したか当麻が渡したかはっきりわかりません」との供述が当時の記憶に基づくところをありのまま述べたものと解される余地もある。また、当麻は、西村の最終段階における供述と相似した供述をしているが、指名業者のメモの交付、封筒入りで渡したか否かおよびその時期、三人で飲食し、仲居が同席した状況、あるいは現金授受の報告の有無などにおいて著しくくい違っているうえ、当麻の供述自体に矛盾、変遷があってその供述内容の確定まで至っていないのであるから、とうてい西村の供述の裏付けとなるものではない。原告の後記供述は、原告の到着時刻や服装、裏二階で西村に会ったか否か、西村と会った表二階の位置やそこでの話の内容、状況、西村、当麻との飲食の模様、とりわけ現金授受の有無などの点で、西村の供述と著しくくい違い、それと全く矛盾するか相反した内容となっており、とうてい西村の供述によって認められる客観的事実とよく符合するものではない。《証拠省略》によると、西村は「当麻が裏二階へ残ったこと、希望指名業者のメモを当麻から受け取ったことを思い出したので、それをきっかけにメモと一緒に当麻から現金を受け取ったこと、原告に自分が現金を贈ったことを思い出したのです。」と述べていることが認められるが、前記供述の変遷とくに前記注射の影響を考えると直ちにこれを措信するわけにもいかない。
そして、このように変遷する西村の供述のうちとくに最終段階のものが措信しうる根拠について格別明らかにされていないのであるから、慢然とこのような供述を措信して本件公訴を提起することは違法であるといわなければならない(西村の再取調における供述も何らその信用性を回復させるものではない。)。
(3) ここで、原告の供述について検討する。
《証拠省略》によると、原告は「午後七時ころ福寿旅館に着いてすぐ風呂に入り表一階で丹前を着ていると、旅館の光子が、『西村さんやら見えてます』と言って教えてくれた。裏二階に上ると当麻が一人座っていたので『西村さんは』と聞くと、『ちょっと出ております』との返事であった。当麻の右側に坐り、ウイスキーを一杯位飲みながら一〇分位よもやま話をして階下に降り、光子に西村のことを聞くと表二階の大きな部屋にいると言うので上って行くと、西村は八畳の間で布団をひいて寝ていた。その枕許に薬袋があった。西村は『的場先生に診てもらった』などと言い、さらに『進弘企業に仕事をやらしてほしい、よろしくたのむ』『指名業者はなるべく少なくしてほしい』とも言われたが、敷札を教えてくれとは口に出しては言われなかった。私は『まだ何も分っていないし、できる限りのことはしたいと思う』と答え、階下に降りた。」旨供述していることが認められる。
ところで《証拠省略》によると、原告は、当初福寿旅館へ赴いた目的や西村と会ったことさえ否定し、約二週間にわたる取調の結果やっと右事実を引き出しえたにすぎない。しかるに右事実は何ら賄賂授受に直接触れず、これを推認させるにはなはだ不十分であるばかりでなく、当麻や西村の供述と比べると当時の状況につき前記のように多くの点で著しい矛盾、くい違いがあり、はたして真実を述べたものか非常に疑わしい。
もっとも、被告は金員授受に関する以上の西村、当麻らの供述の他に、被告主張3(三)掲記の諸事実を根拠に、本件起訴の適法性を主張するのでその点について判断するに、仮にこれらの事実が認められるとしても、これらの事実から本件公訴事実とくに賄賂の授受という事実を推認することのできないことはもちろんのこと、西村ら関係者の供述の信用性を増す情況的事実とも言うことはできず、これらの事実を加えてもとうてい証拠上犯罪の嫌疑が十分で有罪判決をえる見込が存在するというわけにはいかない。もっとも、最低制限価格の教示については、西村が原告から右価格を教えてもらった電話をいつどこからかけたか、およびその教示の内容などにつき、西村の供述は目まぐるしく変転し、しかもそのいずれについてもそれを裏付けるに足る証拠はないうえ、原告の供述など関係各証拠とも大きくくい違い、とうてい本件にいうような原告、西村間の電話のやりとりを認定することは出来ないといわざるをえない。
五 以上によると、本件の中核となる賄賂の授受の事実について物証がなく、この点について直接関連する証拠としては西村の供述しかないうえ、右西村の供述には、合理的な疑いを容れる余地が多々存在し、これを裏付ける証拠もなく、とうてい信用性を認めることができないにもかかわらず、検察官は、西村の供述のうち公訴事実に符合する部分のみに依拠して証拠収集ならびに収集証拠に対する十分な検討を怠り、ひいては証拠の評価など経験則の適用を著しく誤り、原告につき、犯罪の嫌疑および有罪判決をえられる見込があるとは認めがたいにもかかわらず、慢然本件公訴を提起するに至ったものというべきである。そうすると、本件起訴は違法であり、右は公権力の行使に当たることは言うまでもないから、被告国は、国家賠償法一条一項に則り右行為により原告の受けた損害につき賠償の責任がある。
六 そこで、右起訴による原告の損害額について検討するに、原告がその主張のような経歴を有することは、当事者間において争いがないところ、《証拠省略》によれば、原告は、本件起訴当時、美浜町町長であり、製箸業を営んでいたことを認めることができる。さらに、右各証拠によれば、原告が立候補をしなかったこと、四年後落選したこと、破産の宣告を受けたことなどを認めることができるけれども、これらの事実と本件起訴との因果関係を認定することは困難なので、前記認定の事実その他諸般の事情を斟酌し、その慰藉料は金二〇〇万円をもって相当と認める。
七 以上の次第で、原告の本訴請求は、金二〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年四月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないと認めて却下し、主文のとおり判決する。
(裁判官 川波利明 裁判長裁判官新月寛は退官のため、裁判官古川順一は転勤のため署名、押印することができない。裁判官 川波利明)